2021年 熊野寮入寮パンフレット
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憲法の期末試験風に時計台占拠を考えてみた

このパンフを読んでいる方の中には, 京大法学部に今まさに入らんと, 受験に挑んでいる方もいることでしょう. ここでは, 法学部の自分が法学の世界をご紹介します. 題して「憲法の期末試験対策風に時計台占拠を考えてみた. 」

熊野寮は種々の学生運動の拠点となっているので, 憲法とりわけ表現の自由・集会の自由・学問の自由について考える機会が多くあります. 憲法を学んで分かることは, 人権というのは誰かの努力や世論によって勝ち取られてきたのだということ, 現在の判例理論も完璧ではなく僕含め皆さんが新たな人権や判例理論を作っていくのだということです. 熊野寮を巡る学生運動も, 学生の権利を新たに社会に定着させようとする最先端の運動とみることができるのではないでしょうか. 受験, 頑張ってください. 僕も期末試験頑張ります.

設問1 (以下は創作を含みます)

京都大学熊野寮自治会は, 毎年「熊野寮祭」の一環として, 京都大学時計台に登る「時計台占拠」というイベントを行っている. 2020年の当該イベントは, 熊野寮自治会にとって, 当局との団体交渉を求める意義を有していた. Xは, 当該企画の参加者として時計台に登った.

  1. 京都大学職員の通報により京都府警察が学内に立ち入った. 本件の警官の学内立ち入りについて憲法上の問題点を論ぜよ.

  2. Xは, 京都大学職員の通報により駆けつけた京都府警察により不法侵入および不退去の罪で現行犯逮捕された. Xは有罪となるか. 解答にあたっては憲法上の論点について論じるだけでよい.

解答案

1.

京都大学構内に警察官が入ったことは学問の自由(憲法23条)に反するか. 憲法23条が保障する学問の自由は, 明治憲法下での学問研究への政治介入の反省から, 思想・良心の自由や表現の自由とは別に明文で保障された権利である. このような歴史的背景を踏まえれば, 大学構内への警察の立入は一律に許されないと考えることもできそうである.

しかし, 思うに, 警察権は学問の自由・大学の自治の対立者であると同時に公共の秩序と福祉に奉仕すべきものであり, 学問の自由・大学の自治も究極的には公共の福祉の合理的制約のもとにあるので, 現行犯その他通常の犯罪捜査のための警察権の行使を大学が拒む根拠はないというべきである. しかし, 学内立ち入りの必要性を警察側の一方的認定に委ねるべきではないため, 裁判官の令状がある場合や緊急でやむを得ない場合を除き, 大学の許諾了解が当初より予想しえない場合は警察権の行使が大学の自治に干渉するものとして許されないと解すべきである.

これを本件にあてはめるに, 京都府警察は大学職員の通報に基づき現場に駆けつけており, また, 「時計台占拠」に先立って大学当局が公表した「令和2年11月25日付告示第4号」において「時計台記念館に登ろうとする者については確認次第直ちに警察に通報するなどの法的措置を含め, 厳正に対処する」と述べていることから, 大学の許諾了解を得ているといえる.

よって, 本件の警察の大学構内への立入が直ちに学問の自由の侵害にあたるとはいえない.

2.

Xの本件逮捕は憲法上どのような問題になるか.

まず, 本件集会が学問の自由(憲法23条)にあたるかについて論じる. 学問の自由の保障範囲・程度が問題となる.

学問の自由は, 前述のような明治憲法下の学問への政治介入の反省から保障されている権利であり, ①学問的研究の自由, ②研究成果の発表の自由, ③大学において教授その他の研究者が研究の結果を教授する自由, ④大学の自治が含まれると解される(東大ポポロ事件).

ここで, 憲法が保障する学問の自由および大学の自治は, 大学が学術の中心として深く真理探究にあたる場であることから, 直接には教授その他の研究者の研究, 研究結果の発表, 研究結果の教授, およびこれらを保障するための自治を意味するものと解される.

では, 大学の自治が直接には教授その他の研究者の学問の自由を保障するためのものであるとして, 大学における学生の学問や集会も学問の自由に含まれるか. 憲法が保障する学問の自由が大学の学生にどの程度保障されるのかが問題となる.

この点, 判例は, 憲法23条の学問の自由は一般国民に広く保障されていると解されることから, 学生も一般国民と同様に学問の自由が保障されるとしつつも, 学生に保障される学問の自由は, 大学の教授その他の研究者の有する特別な学問の自由と大学の自治の反射的効果として保障されるもので, その結果, 学生は一般国民よりも手厚く学問の自由が保障されるにすぎないと解している. また, 大学における学生の集会についても上記の範囲で自由と自治を認められるものであり, 学生の集会が真に学問的な研究またはその結果の発表のためのものではなく, 実社会の政治的社会的活動にあたる場合は, 大学の有する特別な学問の自由と自治は享有しないと解している(東大ポポロ事件).

しかし, 思うに, 学生も教授の指導の下, 研究に従事する存在であって, 学問の自由および大学の自治の保障は, 教授その他の研究者の利益だけでなく, 学生の利益をも擁護するものと解すべきである. よって, 学生は, 教授その他の研究者の管理をただ甘受する存在ではなく, 大学の自治の主体としての地位を有していると解すべきである. このような理解に基づけば, 学生の政治的社会的活動の中でも学問の受益者として行う大学当局への意見・批判は大学の自治を構成する言論として学問の自由で保障されるべきである.

これを本件にあてはめるに, 本件時計台占拠は, 熊野寮自治会が長年当局により開催を拒まれてきた団体交渉の開催を当局に要求するための活動という側面を有するものであり, 団体交渉は学内での立場の弱い学生にとって学問の受益者としての要求を訴える重要な機会といえるのだから, 当該自治会の主張およびそれに基づく時計台占拠は学問の自由および大学の自治を享有するというべきである.

また, 本件時計台占拠が集会の自由および表現の自由(憲法21条1項)で保障されることは言うまでもない.

続いて, 大学法人が, 学問の自由により保障された大学の自治に基づき施設管理権を有する大学構内において行われた本件時計台占拠を理由とする逮捕が上記の自由権への制約として正当化されるものなのかについて論じる.

ここで, 他の私人の管理権に属する場所での表現や集会が認められるかが問題となる.

思うに, 表現の自由は, 個人が独立の人格を有する自律的存在として自己を発展させていくために必要不可欠であり(自己実現), 人々の間で強制によらない共同意思が形成されることを助け, 健全な民主主義を維持・運営に貢献するものである(自己統治)ため, とりわけ手厚く保障されるべきである. また, 集会の自由は, 集会が意見表明のための有効な手段であることから前述の表現の自由と密接な関連を有し, 様々な意見や情報に接することで自己を発展させ, 相互に意見や情報等を伝達・交流する場の確保のために必要であり, 手厚く保障されるべきである.

この点, 判例は, 憲法21条1項は表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく, 公共の福祉のための必要かつ合理的な制限を是認するものであって, たとえ思想を外部に発表するための手段であっても, その手段が他人の財産権, 管理権を不当に害するごときものは許されないと判示している(吉祥寺駅事件).

しかし, 思うに, 一般公衆が自由に出入りすることのできる場所は, パブリックフォーラムとしての性質を有し, そこでの表現活動や集会に対する規制は, 表現の自由・集会の自由の保障に最大限配慮されなければならないと解すべきである. なぜなら, このような場所での表現活動・集会は, マス・メディアを利用した情報伝達が困難な社会的少数者にとっては特に, 軽視できない意義を有し, その手段を奪われることが, ある意見にとって社会に伝達される機会を実質上奪う結果になることも少なくないからである. しかるに, 私人や大学当局の管理権下にあるからといって一律に表現活動や集会が認められないとするのは相当でなく, その行為が主張や意見の有効な伝達手段であることからくる表現の自由および集会の自由の保障においてそれがもつ価値と, それを規制することによって確保できる他の利益とを具体的状況のもとで衡量して, その許容性を判断すべきである. そして, 利益衡量にあたっては, 活動場所の状況, 規制の方法や態様, 活動の態様, その意見の有効な伝達のための他の手段の存否などの事情を考慮すべきである.

これを本件にあてはめるに, 大学構内は大学法人の施設管理権に属するも, 一般公衆が自由に出入りできる空間であり, パブリックフォーラムとしての性質を有するというべきである. よって, 大学構内での表現活動・集会に対する規制は, その場所の機能に鑑み, 表現の自由・集会の自由の保障に最大限配慮すべきである. また, 本件時計台占拠を通じて伝達しようとした熊野寮自治会の主張は大学当局への批判にあたるといえ, 前述のように, 学問の自由で保障されるべき事柄である. また, 本件時計台占拠は, 大学当局に団体交渉を拒まれ続け, マス・メディアを利用した情報伝達が困難な熊野寮自治会が, より多くの学生に自らの主張を伝達するために学生の注目を最も集める効果的な情報伝達手法として選択したものであり, 時計台占拠に匹敵する有効な伝達手法は他になかったというべきである. また, 未だかつて時計台から落ちるなどして負傷した者はおらず, 当日も梯子の下に布団を敷き詰めるなどして安全対策を講じていたこと, 授業や研究に配慮し休み時間のみの活動だったこと, 車や人の通行を妨害しないよう参加者らが時計台占拠を見に集まった学生らを誘導していたことを踏まえれば, 当該時計台占拠を規制することで確保できる利益は, 当該時計台占拠が有する表現・集会の価値に比して, 著しく少ないというべき.

以上より, 時計台占拠への参加を理由とする逮捕は, 表現の自由および集会の自由, 学問の自由に反し, 違憲である.

解説

1.

本解答案が参照したのは, 「愛知大学事件」の名古屋高裁判決です. 「愛知大学事件」は, 学生運動が盛んな1952年, 愛知大学の教授方にスパイが潜入したとの風評を聞きつけ憤慨した学生が大学構内に立ち入っていた巡査を縄で縛り暴行した(!)結果, 暴行罪などに問われた事件です. 弁護士側は正当防衛を主張していました. 気になるのが, この巡査は果たしてスパイなのかそうでないのかですよね. 検察官側の主張は「不審者を追って職務質問のため」立ち入ったということですが, 弁護士側の主張は「構内職員住宅に潜入中のスパイの護衛する目的」であったというものでした. 本判決では双方の主張とも証拠が十分でないとされており, 真偽は不明です. (みなさんはどう思いますかね. スパイの護衛目的だったら面白いですね. ) ともかく, 真偽が不明なので巡査の立ち入りだけでは大学当局の許諾了解を予想し得るものか判断できず, 正当防衛に必要な「急迫不正な侵害」がないとのことで誤想過剰防衛(「急迫不正の侵害」がないのに, あると誤信して, 過剰な防衛行為を行ったこと)で有罪とされました.

寮内や自治界隈のSNSでは, 大学構内に警官が入ったことのみをもって学問の自由・大学の自治の侵害だという人がいますが, 僕としてはこの名古屋高裁判決の論理の方が警察権の役割にも気配りしていて妥当だと思います. 第一, 大学構内に一切警察が入るべきでないとなると, 大学は大学の自治に基づき自警団を持つか, 大学が無法地帯になるかのどちらかになってしまうんじゃないでしょうか. 前者の世界線だと, 自警団の役割を当局が担うのであれ, 学生が担うのであれ, 僕としては何ら権力に民主主義的, 法治主義的な制約がかけられていない自警団の誕生は恐ろしいものだなと思います.

おそらく, SNSでの前述のような発言自体も行間が抜けているだけで, 警官の構内立ち入りそれ自体よりも, 学内集会や時計台占拠の度に警官が来ることによる表現や集会への委縮効果を問題視しているのだと思います.

僕自身リサーチが足りないのでここでは詳しく触れませんが, 後述の東大ポポロ事件1審では, 特定の犯罪捜査のためでない警備活動は学問の自由に反すると述べられており, この論理も非常に有用だと思います.

2.

本解答案が参照したのは, 東大ポポロ事件と吉祥寺駅事件です. まず, 東大ポポロ事件は, 反植民地運動を展開していたポポロ劇団の集会・演劇に警官が潜入しており, それを発見した学生が警官の襟を強く引く, 警察手帳を取り上げるといった行為を行い, 暴力行為等処罰に関する法律に違反したとして起訴された事件です. 1審は特定の犯罪捜査のためでない警備活動は学問の自由に反するとして無罪としていますが, 最高裁は学生に保障される学問の自由は教授その他の研究者の大学自治の反射的効果で保障されているにすぎず, また, ポポロ劇団の集会のような「実社会の政治的社会的活動」は学問の自由の保障の範囲の外だとしています.

1審のリサーチが十分でないことから, 本解答案では, 学生も大学自治の主体であって当局批判の活動は学問の自由・大学の自治で保障されるべきではないかという持論を展開しました.

続いて, 吉祥寺駅事件は, 吉祥寺駅でビラまきと拡声器による演説を駅員の制止を無視して30分間行った者が不退去罪などの罪に問われた事件です. ここでは私人の管理権下で表現の自由・集会の自由が認められるかが問題となっています. 大学も法人化以降, 私人になったといえるので(在学関係も契約関係になったというのが通説), この問題枠組みで捉えられると思います. 本判例は, 表現の自由・集会の自由といえども, 私人の管理権を侵害することは許されないとし, 被告人を有罪としました.

これに対し, 伊藤正巳裁判官は補足意見を付し, パブリックフォーラム論を展開しました. 本解答案はこの補足意見を参照して作成しました. この見解は非常に説得的で僕の好きな立場なのですが, この見解の重要なところは表現や集会を規制することによる利益と表現や集会がもつ価値を比較衡量して結論を下す点です. つまり, 時計台占拠でいうと, 安全対策やコロナ対策, 授業や研究の妨害にならないようにするというところがきちんと守れていないと, 表現や集会を規制することによる利益が大きくなってしまい, 規制されてもやむを得ないと判断されるわけです. 2020年の時計台占拠は安全対策を強化し, 寮の主張を訴えるビラをまくなど, 従来の時計台占拠に比べて時計台占拠による不利益を減らし占拠に伴う表現や集会の価値を高める工夫ができたのではないかと思います.

おわりに

長ったらしい記事になってすいません. 印刷してくださる方, パンフの折り込みをしてくださる方, ありがとうございます!!

(文:憲法曽我部ゼミで青春したいマン)