「酷いところに住みたくて」—二年間の潜入レポ—
…オホン! 京都大学の入学に挑まんとする我が同士よ! 諸k
えー, あー…
入寮パンフと言う事で気合いの入った書き出しを試みたが性に合わないので諦める. これを読む人の多くは入試という人生最大のイベントで頭が大爆発中であろうから, ここに書くのは熱い入寮の誘いなどではないほうがよかろう. と, いうことで, テーマは寮といえど夏休みの自由研究にも及ばないエッセイです. 所詮ひねくれ者の独り言なので本当に入寮したい方はくれぐれもアテにはしないように. 住んでみないと分からないことってあるから.
はじめに
改めまして, 熊野寮の片隅からこんにちは. ここに住んで2年目の者です. 冒頭部分の宣言によって入寮パンフなのに寮を良く言わないことに許しを得ようとしている筆者ですが, それはそうと, 熊野寮に住んで以来, この場所のなんとも独特な奇妙さにひっかかる心を抱えています. いや, ひょっとして住む前からかも. この場所の持つ, まるで実験施設のような, シェアハウスのような, 先生のいない学校のような, またはスラムのような, なんとも言いがたいこの感じ. うまい説明を持たないことに長らくモヤモヤを感じました. 私は大学では建築を勉強しているので, 少しそれっぽいエッセンスを加えながら私なりにこの場所の特筆すべきところを書いてみようと思い立って筆を執ります. 多分一般的には学生が多いから人間関係が密(人間関係が, ね. )だとか家賃が爆安い(4100円/月)こととかが特徴として言われると思うのですが, あまり他の方がスポットを当てないところを書いていきます.
熊野寮is何?
まずは熊野寮の紹介から. スマフォでリサーチすればその風体などはある程度分かるかも. だけどなれない土地に来て充電なくなったら死ぬという方の為にもざっくり説明します.
熊野寮は1965年(昭和40年)に建ちました. 当時の日本は東京オリンピックの翌年, 4年後には大阪万博も控え, 日本中が熱気に包まれていた時期と言えるでしょう. 京大でも闘争や学生運動などの強烈なワードが現実として紡がれていた時期です. それ以来, 熊野寮が守ってきた学生の自治で寮を運営するというスタイルは, 全国の大学寮的にももはや絶滅危惧種となりつつあり, その意味でも伝統ある寮といえます(自治については他の執筆者の方に任せるとして割愛). 建った当時から50年以上の時を経ている熊野寮という建物は, バブル崩壊も, 平成不況も, 阪神淡路大震災も経験しています. そしてここには, そのような時代の中で多感な若い感性をもって生活した学生たちの痕跡が“派手“に残っています. 下品な落書きや糊張りで剥がせないビラ, 5巻しか見当たらない古い漫画, いたたまれないポエムなど…. この場所が長きにわたって監視者/所有者のいない場所であったが故に学生たちはこの場所で心を解放して, 時に団結して生活してきました.
仮に4年で人が入れ替わってきたと仮定して, あなたが新しく入寮すれば単純計算で15代目. (もちろんそのようにカウントすることはできないかも知れないですが…)400人の寮生と共に熊野寮の設備・スペースを共有しながら暮らすこととなります.
そしてそんな熊野寮を語る上での私的重要ポイント3つ. はよ言えやと言うせっかちさん向けに先に言っちゃいますね.
自由に使える場所があること
行動を誘発する独特の汚さ
自分が選んだわけではない人と一緒に過ごすこと
はい, この3つです. 以下に詳しく書いていきます.
1. 隙だらけの間取りと手入れの行き届かない場所
裏をとったわけではないので詳しくは分かりませんが, 個々の間取りは増寮活動に熱心だった吉田寮生が関わったと聞いています. 何が言いたいかというと, イマドキ立てられるアパートのように, 場所の節約やらちまちましたことは考えず, あまり考え尽くされてもない建物のように思います. どこも人数に合わせて真四角の部屋. はっきり言って病院のような素っ気ない雑な計画です. (時代による感覚の差もかなり大きいと思います)正面玄関から遠い部屋の人やC棟の人は動線的な不便さから正規でない入り口を開拓しています. 防犯的にも見栄え的にもよくないですが, 何せ間取りが下手くそなので仕方ないと思います. でも意外にもその考え尽くされてなさによる恩恵もあるんですよね. 隙だらけの間取りだからこそ, その隙間でこそこそと, 自由な使い方が生まれます. ロビー横の暗いスペースでは夜な夜な酒盛りが行われたり, 広すぎる裏庭を開拓して畑にする, など…そうでなくとも, 広くて誰も使っていない・使っても怒る人がいない(誰のものでもないから)場所があると, ここであれしよう! これしよう! といろんなアイデアが浮かんでくるものです. さらに, そういうみんなの通る場所で何かをすれば, 時に見物人も集まってきますよね. また, ここでこんなことをするから来てね! と言えるのもいいところです. 熊野のコンパや寮祭などのイベントは盛り上げるマンパワーあってこそと寮内では思われがちですが, 結構場所(人目のある・自由に使えるスペースが有り余るほどある)によるところも大きいと思います. そして私がこの場所に惹かれる理由もここにあると思います. また個人的に, 食堂だけは計画してそのようないろんな使われ方をひきだす場所になっているのでとてもよいと感じています.
2. 人間はきたない. 熊野寮もきたない.
なんだかとても人間嫌いなんだなと思われそうなたいそうな題で始めてしまっていますが, コロナ禍で起こったことを考えみて欲しいです. マスクをしていない人が気になることはあってもマスクをしていない猫が気になることはなかろう. 潔癖症の人で人が握ったおにぎりが食べられないとか, そういうことでもいいのですが, 物理的な汚れとは別に人間による, 「きたなさ」ってあると思うのです. 他人の存在や痕跡を感じるというか. (なんか名前ついてそう)熊野寮はそのようなきたなさでいっぱいです. そりゃあもう, 学生がぎゅうぎゅうで住まうこと50年余り, 血と汗と涙と, 誰かのものかも分からない痕跡でいっぱいです. 掃除なんて気休め程度にもならないぐらい. ここまでひねくれ者らしく寮の悪口しか言ってないように聞こえますが, ちょっと立ち止まって考えてみてください. 別にきたないことは悪いことではないですよね. 白い壁に囲まれて清潔感あふれる生活を営みたいという方もいるとは思いますが, それは個人の価値観の話です. 「でもきたなくて良い事なんてないじゃないか! いいところがあるなら言ってみろよ」って, そうお思いですかね. わたしの答えは「寛容さ」を醸し出しているところが汚さのいいところだと思っています. 簡単に言うと, 誰かが既に汚してるんだから, 私がよごしても大丈夫という安心感, 他人が汚してもべつに気にならないという寛容さということです. 色あせたポスターや10年以上前のビラ, 腐ったまんじゅうがふらっとでてきても, 少し愛おしい気持ちでゴミ箱に見送ります. そしてこれを延長すると, 誰かが昔このような事をやっていたのだから, 私たちもやろう!! となるわけです. 私がここで言いたいのは, 伝統や人間関係による駆動力に加えて, 熊野寮自体の積年の「きたなさ」が行為や行動を誘発するのではないかと言うことです. もちろん実験して確かめる事は出来ませんので私の主観です. ただ初めてここに足を踏み入れた日, 頑張ればアリ飼えそうだな, とか, 卒業するまでには中庭をアリ地獄にしてやろうかな, とかここに来るまで微塵も思わなかったことを思いついたりしましたね. (結局やってません)
3. 独特なシステムとこたつ
冒頭に実験施設というように書きました. 維持費光熱費管理費コミコミで家賃4100円. 住んでいるのはほぼ若者(ほぼ20代)のみ. その中で各々が居場所を見いだし生活する. 独特のルールを形成し, 緊急時の対応や時には外交的な事もやる. お金や地位, 世間の目からちょっとだけ独立した世界. 皮肉っぽく言うならおままごと的な政治となるかも知れません. さらにビラの事をボテッカーと呼ぶなど寮外では一切聞かない独特の言葉もあったり. (そう思うと月の寮費は寮に対する納税のようにも思えてきた…)
…と, ここまでは寮全体のことを独自システムを持つ1つの実験的国家, のように語ってみました. (実際そんな高尚なものではないです)ただ, 熊野の不思議なところは1つの家というモデルとしてもみれるような気がしてくるところなんですよね. 私はこの話をするときに「こたつ」をキーワードにする事が多いのですが, 一旦この場合の「こたつ」について説明します. つま先が凍り付くように寒いとき, こたつがあったら入りますよね. そのとき動機は何でしょう. 暖まりたいからですよね. そうしてこたつでぬくぬくしていると, 寮のような場所では知らない人も入ってきます. そこで会話が生まれるにせよ生まれないにせよ, 同じ時をその人と過ごす事になる. つまり元々仲がよかった人と集まって話す, のではなく暖まると言う同じ目的に集まった, 自分が選んだわけじゃない人と長時間過ごす事になる. そのような年の離れた, 専門も興味も違う人と一緒にいるというシチュエーションを自然に引き起こすものとしてこたつを考えます. このように第一に目的があって, そのために集まってきた人同士が一緒に過ごすその場所を「こたつ」と, (賛否両論はあれど一旦無視して)呼んでみることとします. こたつって, 基本家にありますよね. ざっくり言うとそういう無防備さでいわゆる友だちではない人と長時間一緒にいるというイメージです. 寮の話に戻ります. 寮全体としては寮生大会の時には原則寮生全員が食堂で一堂に会します. そうでなくてもご飯を食べたり, 勉強するためにいろんな人が食堂にやってきます. 寮の一番おおきい「こたつ」は食堂. また, 熊野寮は全体としての自治よりもブロック(住んでいるエリア)ごとの自治の色合いが強く, その核として談話室があるのですが, ここも「こたつ」. (実際にこたつもあります♡見学に来られたときは是非一緒にささりましょう)さらにいうと部屋も. あと, 喫煙所やロビーといった, イレギュラーな「こたつ」も多数生まれています. そして, 最後に引きでみると, 寮全体が「こたつ」にも思えてきたりする. 寮内には一切知らない人も多いから強引なまとめ方だけど. 共有スペース(家でいうところのリビングダイニング)がたっぷりとあり, 個人と個人をつないでくれていることで, 寮に住むという共通性がなかったら出会わないような人と, 気づけば無防備なコミュニケーションをしている. そんな, 自分からは関わろうとしないかもしれない人と生活を通じた深めのつながりを持つという奇妙な体験があなたを待っています. (余談ですが, 居心地のいい場所という意味で熊野寮をこたつのようだと形容する派閥があるそうです. 一度入ったら出られない, と言う意味で. )
まとめ
長々書きましたが以上3点が私的熊野寮最大の特徴です. ここまで読んでくださってありがとうございました. 熊野寮を紹介する際に建物自体に触れる人ってあんまりいない気がしたので熊野寮の建物ってすごいんだぞって言いたくて書いた文でした. さて, 全然タイトルの内容と違うじゃん!!!! ばか!!! とお思いでしょう. ゴシップ性のあるタイトルの方が読んでくれる人いるかなと思っちゃったんですよね…すいません. ここからはタイトル回収兼自分語りです.
私がこの寮に入った理由のなかで少し面白みがあるものとしては, QOLを兎に角下げたかったと言うのがあります. と, いうのも実家にいると, 親という人生経験豊富な圧倒的な存在によって, 危ないことや酷い生活を体験しようにも止められる状況にあったのです. 今の生活に疑いの目を向け, また逆によいベッドで寝ることがいかに幸せであるかを知るためにも酷い場所で暮らしてみたかった…(道ばたで寝たいと言う衝動があり, 駅で寝るサークルに入るなどもしました. )そして, 熊野寮に入り, ここで生活したことで, なんだかんだそのことは解決されました. (注:熊野は別に酷い場所ではありません! )同じようなモヤモヤを抱えている方がいらっしゃったら, 熊野に入ることをオススメします.
※以上寮にはいろんな人が住んでいて, これはそのなかのあくまで一個人の意見です. この駄長文をここまで読んでくれて嬉しいです.
(文:ノアール・46°)